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「幸せ」を考える②

〜 とある医師のつぶやき 〜

・「幸せ」って何だろう

さて、前回は「『幸せ』は『単純』」というお話でした。
今回は「『幸せ』の正体」に迫るお話です。

そもそも、「幸せ」って何だっけ?
お金があるとか、才能に恵まれるとか、ぽん○醤油があるとか…
そういう物理的な要素で幸せを感じることは確かにあります。

しかし、「それこそが『幸せ』だ」と定義出来るか?と言えば、当然答えはNo!でしょう。

では、「愛」でしょうか?
実際、これはかなり正しいようにも見えます。
しかし「愛」にも様々な形があるため、「『幸せ』とは『愛』があることだ」と結論づける場合には、まず「愛とは何か」を定義しなければなりません。

「どの様な形であっても、『愛』は『愛』である」としても、「では『愛する』ことと『愛される』ことではどちらが『幸せ』なのか?」という哲学的な話になってしまったり、「『愛されている人』が、その愛を苦痛だと感じてしまう」こともあるでしょう。
となると、「『幸せ』とは『愛』があることだ」と結論づけることも出来ないようです。

では結局、「幸せ」の正体は何なのでしょうか?

・「答えは、君の心の中にある!」

まるで物語のセリフようですが、「幸せ」の正体に迫る重要なポイントがここにあります。
「『人それぞれの心に幸せがある』なんて話なら、『幸せの正体』関係ないじゃないか」と思われるかも知れません。

しかし、そうではないのです。

例えば、地球上に「全く同じ人」は一人もいないでしょうが、「生物学的に見れば、『人間の体』は『大体共通した特徴』を備えている」ことに異論のある方はいらっしゃらないでしょう。

「人の知覚」も「大体共通した特徴」があり、この程度の明るさだと眩しい、逆にこれくらい暗くなると見えにくい、これくらいの温度だと冷たいと感じる、塩分1%程度が美味しいと感じやすい、辛味は痛みや熱刺激と同様であるなど、様々な共通点があります。

従って例えば「ある人には辛いと感じても、別の人は『全然大丈夫』」であるとか、「辛い、熱い、『だがそれがいい』」など個人の適応性や好みに差はあっても、「辛味を甘いと感じる」ことは、普通はないわけです。

同じように「『人間の心』も、『大体共通した特徴』を備えて」おり(だからこそ精神医学や心理学が成立するのです)、その視点で見ていくと、「人が幸せであると感じられる条件」にも「大体共通した特徴」があり、それが「『幸せ』の正体」であると解るのです。

次回は、「幸せ」の正体の鍵となる人の心のお話です。