〜 とある医師のつぶやき 〜
・「心」の性質が鍵
前回、「人が幸せであると感じられる条件」にも「大体共通した特徴」があり、それが「『幸せ』の正体」であると解る、というお話しをさせて頂きました。
今回はその正体を知るに先立って、理解しておくべき2つの「心の性質」についてお話しします。
ひとつは、「心は、『苦痛だと感じたこと』が苦痛である」ということ。
もうひとつは、「心は、『求めるものが得られた時』に喜びを感じやすい」ということです。
心の持つこれらの性質が、「幸せ」の正体の鍵なのです。
・「苦痛」は、心と体で違う
鍵となる心の性質のひとつ目、「心は、『苦痛だと感じたこと』が苦痛である」
…何だか禅問答の様です。
「苦痛だと感じることが苦痛って、当たり前じゃないか」って?
果たしてそうでしょうか。
例えば、
「タバコを吸う」
「カップラーメンを食べる」
「スイーツ食べ放題」など…
(もちろん人により違いはありますが)これらは「苦痛だと感じる」どころか「喜び」と感じ得るものであり、しかし「『体にとっては』明らかに苦痛」です。
逆に、
「デスクワークで疲れ切った仕事帰りに、ジムで運動をする」
「休みの日、食事の後すぐ寝転がりたいところを我慢する」
「腹八分目にして、カロリーのヤバそうなデザートを追加しない」など、
「『心は』苦痛と感じ得る」ことが、「『体にとっては』明らかに良いことである」場合もあります。
つまり「体は、『苦痛だと感じる』ことと『本当に苦痛である』ことが一致しない」のです。
それに対して、心は「それが一致している」ため、「何が起こったか」ではなく「心がそれを苦痛だと感じたか」が重要であり、そこがポイントなのです。
・「小さな親切、大きなお世話」…どうしてこうなった?
鍵となる心の性質のふたつ目、「心は、『求めるものが得られた時』に喜びを感じやすい」…
これが、この見出しへの答えです。
他人様からのどんな親切も、「その時心が求めていない」ことは「お節介」に感じてしまうことがあるのです。
逆に「心が求めていたもの」は、嬉しく感じる様になっています。
例えば「超高級な、フレンチや焼肉(他、とにかく憧れの食事)に誘われる」ことは、それ自体は「中々ないイベント」ですし、「幸せを感じること」のはずです。
でも、「誘って来たのが、顔も見たくないほど大っ嫌いな相手」だったり、「たった今、お腹一杯食べて来ちゃったところ」だったら?
「なんであなたから!」「えー、どうして今…」と思ってしまいますよね。
逆に、「カップラーメンやアイスを食べる」なんて、「別にいつでも、自分で簡単に出来ること」ですから、それ自体は「大したことない、日常の出来事」のはずです。
でも、想像してみてください。
肌寒い部屋で残業。
「何かちょっと小腹が空いてきたし、寒いし、カップラーメンでもあればいいのにな」と思っている時に「お、いた?カップラーメン買って来たけど、いる?」なんて差し入れられる一杯。
あるいは、夏の盛りにみんなでランチ。
美味しかったけど、ちょっと少なめだった。
お店を出たら灼熱の照り返し。
「やばい、溶ける…口の中もちょっと脂っこいし、何かさっぱり冷たいもの…」と考えていた時に、「新しく出来たジェラートのお店に行きたい、付き合って」と御馳走された、その一口。
「至福」ではありませんか?
「何が得られたか」ではなく、「心が求めていたか否か」が重要であることが解りますね。
これが、もう一つのポイントなのです。
ちなみに、この心の働きには、脳自体の特徴も関わっており(詳細は別の記事で)、言うなれば「脳生理学的に、そういう時に幸せを感じやすいことが決まっている」のです。
何となく「『幸せ』の正体」が見えきた気がしませんか?