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「幸せ」を考える④

〜 とある医師のつぶやき 〜

・「幸せ」の正体

これまで、「幸せ」の正体を知るに先立って知って頂きたいことについて、長々と語ってまいりました。
今回は、やっとその正体を語ります。

お待たせした…「幸せ」の正体とは!

「心に苦痛がなく、求めるものが得られている状態」です。

もちろん誤差はありますし、「これ意外の要素」もあって当然です。
異論のある方もいらっしゃるでしょう。

しかし「基本的な構造として押さえておくべきポイント」として考えた時、これは間違いなく真理をとらえているのです。

・注意点①
 「苦しい」と「幸せでない」は、イコールではない

「『苦痛がないのが幸せ』なんて言うなら、苦しい思いをして努力している人たちは不幸なのか」
そんな疑問が浮かぶ人もいらっしゃるでしょう。

苦しい思いをして努力している人たち…例えばアスリートや、受験生。
彼らがみんな幸せでない、などと言う話なら、確かにひどい暴言です。

しかし、忘れてはいけません。
ここでの「苦痛」は、あくまで「心が苦痛と感じるもの」だけを指します。

アスリートを例に考えてみましょう。
毎日の過酷な練習は、確かに「体にとっては」苦しいものです。

しかし、
「絶対にメダルを獲るんだ!」
という強い目的意識を持って、
「自ら望んで苦しい練習に向かう」時。

はたして、彼らの「心は」苦痛を感じるでしょうか?

体の苦しさは、間違いなくあるでしょう。
でも、「これで自分は強くなるんだ」とか、
「今日もメッチャやり切った…」などと考えている時、
心は苦痛を感じていません。

むしろ、遣り甲斐や自己肯定感を増しています。

時には、思った様に結果の出ない悔しさを感じることだってあるでしょう。
その瞬間は、確かに心が苦痛を感じています。
しかしそれは、「苦しい『努力自体』が苦痛」なのではなく、
「その努力が報われなかったという『結果』が苦痛」なのです。

しかしそれも、いわゆる「悔しさをバネに」という方向に心を持っていくことが出来れば、「自分の人生において、不幸でしかない出来事だった」とは言えなくなります。

そして逆に「記録が伸びた」「メダルを獲った」など、「自分が求めていたものを得る」ことが出来れば、とても幸せですよね。

つまり、「苦しい思いをして努力をしている」ことは、
「そこに本人の意志や希望がある(つまり自分が求めていて、心が苦痛と感じていない)限り」
むしろ幸せにつながっていくと言えます。

次回、注意点②へ続きます。