〜 とある医師のつぶやき 〜
・「幸せ」の正体
これまで、「幸せ」の正体を知るに先立って知って頂きたいことについて、長々と語ってまいりました。
今回は、やっとその正体を語ります。
お待たせした…「幸せ」の正体とは!
「心に苦痛がなく、求めるものが得られている状態」です。
もちろん誤差はありますし、「これ意外の要素」もあって当然です。
異論のある方もいらっしゃるでしょう。
しかし「基本的な構造として押さえておくべきポイント」として考えた時、これは間違いなく真理をとらえているのです。
・注意点①
「苦しい」と「幸せでない」は、イコールではない
「『苦痛がないのが幸せ』なんて言うなら、苦しい思いをして努力している人たちは不幸なのか」
そんな疑問が浮かぶ人もいらっしゃるでしょう。
苦しい思いをして努力している人たち…例えばアスリートや、受験生。
彼らがみんな幸せでない、などと言う話なら、確かにひどい暴言です。
しかし、忘れてはいけません。
ここでの「苦痛」は、あくまで「心が苦痛と感じるもの」だけを指します。
アスリートを例に考えてみましょう。
毎日の過酷な練習は、確かに「体にとっては」苦しいものです。
しかし、
「絶対にメダルを獲るんだ!」
という強い目的意識を持って、
「自ら望んで苦しい練習に向かう」時。
はたして、彼らの「心は」苦痛を感じるでしょうか?
体の苦しさは、間違いなくあるでしょう。
でも、「これで自分は強くなるんだ」とか、
「今日もメッチャやり切った…」などと考えている時、
心は苦痛を感じていません。
むしろ、遣り甲斐や自己肯定感を増しています。
時には、思った様に結果の出ない悔しさを感じることだってあるでしょう。
その瞬間は、確かに心が苦痛を感じています。
しかしそれは、「苦しい『努力自体』が苦痛」なのではなく、
「その努力が報われなかったという『結果』が苦痛」なのです。
しかしそれも、いわゆる「悔しさをバネに」という方向に心を持っていくことが出来れば、「自分の人生において、不幸でしかない出来事だった」とは言えなくなります。
そして逆に「記録が伸びた」「メダルを獲った」など、「自分が求めていたものを得る」ことが出来れば、とても幸せですよね。
つまり、「苦しい思いをして努力をしている」ことは、
「そこに本人の意志や希望がある(つまり自分が求めていて、心が苦痛と感じていない)限り」
むしろ幸せにつながっていくと言えます。
次回、注意点②へ続きます。