blog

「幸せ」を考える⑥

〜 とある医師のつぶやき 〜

・技術で幸せになる?

前回の最後に予告した通り、今回は「幸せになる技術」のお話です。

「幸せになる技術って(笑」
と鼻で笑われる方もいらっしゃるでしょうか。

しかし、実はこの「幸せになる技術」…何と
古今東西、どこを見渡しても一貫して同じことしか教えていない
のです!

古くは古代バビロニア帝国。
あるいは中国の儒教や、インドに発症する仏教。
さらには聖書や、ネイティブアメリカンの文化。
近年では世に溢れる「幸せになる系」の本。
そして、精神医学での治療法に至るまで!

切り口や言葉の使い方、あるいは進める順序が違うだけで、到達点は全て同じ。

何故かと言えば、以前の記事でお話しした通り
「人間の心」も、「大体共通した特徴」を備えている
からです。

だから、その特徴を踏まえて幸せの正体に気づけば、自ずと「幸せになるための技術」が見えてくる、という訳です。

・つまり、どんな技術?

一言で言えば「物事の認識を調整する技術」と言えます。
上の段でも述べましたが、これまでの記事で

①人の心は大体共通した特徴を備えている。
②その一つが「心が苦痛と感じることが苦痛」ということ。
③幸福の半分は、「心が苦痛を感じない」こと。

というお話をさせて頂きました。
つまり、「心が『直面している何か』を苦痛と認識しない様に調整出来れば、幸福の半分は達成出来る」
という結論になる訳です。

それこそがまさに精神科において「認知療法」として行われているものの根底であり、古今東西の教えに伝わる真意なのです。

・「認識」と「世界」

人は、自分の脳が認識した世界の中を生きています。
周囲にあるどんな物も、状況も、「その人が認識しなければ存在しないのと同じ」ですし、「認識の仕方次第で存在の意味が変わる」のです。

例えば「買った後、棚にしまったまま忘れてしまったお菓子」。
お菓子は確かに棚の中にありますが、
「自分にとってはないのと同じ」
ではありませんか?

あるいは「いつもの通勤電車」は、
「密集した人に圧迫される、単なる苦痛の時間」
でしょうか?それとも、
「一人で趣味や思案に没頭できる時間」
でしょうか?

同じ状況でも、認識一つで全く違う世界になるということがお解りいただけるでしょう。
従って「物事の認識を調整する」、つまり「認識を変える」ということは即ち「世界を変える」ことですらあるのです。

人ひとりが、「世界で起きている全ての不幸を救って世界を変える」など、まさに奇跡でしかありません。
しかし、「『自分が生きる世界』を変える」ことは「誰でも技術的に可能」なのです。

そしてその様に自らの生きる世界を変えることが出来る人が増えれば、いつか本当に世界の様々な不幸が救われる日が来るかも知れません。

「物事の認識を調整する技術」というのは、それくらい強い力を持っているのです。