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「原因自分論」①

〜 個人的な好みの話

・あらゆる苦難の原因は自分という考え方

最近…でもないのでしょうか。
話題になっている概念に「原因自分論」や「100%自分原因説」などというものがあります。

例えば、

「ブラック企業でパワハラされている」
→ この会社を選んだのは自分
「あの人が裏切って、ひどい損害を受けた」
→ あの人を信じたのは自分

など、現在のすべての苦難の原因は自分にある、という考え方です。

この考え方は、別の言い方をすれば
「故に、何かによって『不幸にされている』などという不幸に遭っている訳ではない」
「自分の力でどの様にでも解決出来る」
という論理に持っていく含意があり、つまり「認知の調整」を行うための方法なのです。

実は以前の記事でお話した「宗教的な教えは、この辺り割とスパルタ」というのもここで、仏教などでは比較的明確に「苦しみは全て己から生じる」と説きます。

原因自分論的な思考は、つまり「最近、どこかの偉い人が考えた新しい概念」ではなく、「宗教レベルで昔から教えられている」ものではあるのです。

しかしこの概念自体はともかく、「原因が自分」という「言い方」は、個人的にはあまり好きではありません。

事故に遭っても「原因は自分」?

世の中には、「自分の力では絶対に避けることの出来ない苦難」というものがあります。
病気や事故、自然災害などはその最たる例になりますが、では
「それによって苦難を負うことの『原因が自分』」
などと言えるでしょうか?

あるいは、ずっと一緒に苦難を共にして来た相手に裏切られたりした時に
「今苦しいのは『その人を信じた自分が原因』」
と言われて、「そうだね!」と納得出来るでしょうか?

もちろん、「それを苦痛と捉えないよう、認識を調整する」こと自体は吝かではありません。
だからと言って、「それを苦痛と捉えているのはあなたの認識の問題。だから今の苦難の原因はあなただよ」となどと言われても…

以前の記事でもお話しした通り、私としては「『今の苦しみは、あなただけの責任だ』などということはない」というスタンスですから、到底納得出来ません。

・苦難の「原因」は多種多様

医師として様々な体験をしてきた私の個人的な感情論かも知れませんが、人が体験するほとんどの苦難において「その苦難そのものの『原因』がその人にある」ことの方がむしろ少ないと考えます。

「生活習慣病」と言われる糖尿病ですら、その発症には遺伝因子が大きく関わることが多く、
「そこまで無茶な食生活をしていないのに糖尿病になる人」
「ヒドい食生活しているのに、全然血糖値に問題がない人」
だっているというのが現実です。

「いや、この有様はどうみても自業自得でしょ」
と言われる様な、「明らかに自分の行動によって陥った苦境」であってすら、
「その人がその様な行動を起こす土台となる『価値観を持ってしまった経緯』」
というものが必ず存在するのです。

人が「社会的な生き物」として両親の下に生まれ、社会の中で育つ以上、「全ての『原因』をその人一人に帰属させる」様な言い方には無理がありますし、それこそ「運次第」としか言い様のないものだってあります。

だから、「原因自分論」と聞くと「その言い方はちょっと…」と感じてしまうのですが、同じ様に感じ方もいらっしゃるのではないか、と感じたために今この記事を書いています。