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「原因自分論」②

〜 個人的な好みの話 〜

前回、「原因自分論」という考え方の概説と「その『言い方』はあまり納得出来ない」というお話をさせて頂きました。
今回は第2回です。

・じゃあ、「原因自分論」は間違っているの?

前回お話しした様に、こう言った概念自体はもう何千年という歴史の中で広く教えられているものです。
だから「『考えの方向性』自体は正しい」のです。

ただ、これらの考え方の本意は

「自分を苦しめる『出来事』そのものの『原因が自分にある』」
ではなく、
「自分に起きている出来事を『苦しみと認識する』ことが『自分の選択である』」
ということなのです。

以前の記事でご説明させて頂いた「認識の調整」が有効な理由もここにあり、だからこそ「原因が自分」という「言い方」が相応しくないと考えます。

もちろん、この様な違和感を持たせること自体が計算の内で、あえて強烈なインパクトのある名前にしたという可能性もありますし、「幸せの『原因』も自分なんだよ」という論理展開も理解は出来ますが、やはり「不幸の原因」という言い方はあっても「幸福の原因」という日本語は馴染まないと感じます。

でも、結局大事なのは「これらの概念が何を目指しているのか?」を正しく理解することです。

・「原因自分論」が目指すものって?

宗教レベルで教え続けられている、これらの概念が目指すもの。
それは前編でも少し触れましたが、

「何かによって『不幸にされている』などという不幸に遭っている訳ではない」
「自分の力でどの様にでも解決出来る」

という認識を持つことによって

「『不幸』の原因を外に求めてそれを責めたり、幸福になることを諦めたりしてしまう」ことを止めさせ、
「自分で『世界を変える』ことが出来る」
ように促すこと。

別の言い方をすれば、

「自分の人生の主人公を自分にして、自分で選択していく」

ように促すことなのです。

続きます。