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診察室の修行僧②(後)

〜悩める方々が歩む、「自分を救う」道〜

診察室で出会う、まるで修行僧のような方々のお話。
今回は第二弾の後編です。

ようやく始めた仕事でパワハラに遭い、しばらく辛抱した後にその職場を辞め、新しい職場で楽しく働き始めたBさん。 

そのBさんが、ある日の診察室で私に言った言葉は

今年一番良かったのは、あのパワハラ上司に遭ったこと」

…Bさんの真意は?

・もはや後光が…?自分を超えていくBさん

どことなく照れ臭そうに笑うBさんに、私はその言葉の真意を問いました。
Bさんが答えたのは、概ねこの様な内容です。

「あの出来事に遭って、それについて何度も考える中で、自分の行動についても見直すことが出来た」
「あの様な対応でしか人と接することが出来ない上司は、むしろ『可哀想な人』とも感じられ、反面教師にもなった」
「また、あの職場で受け続けた扱いに比べれば、ほとんどの職場は厚遇の様に感じられる」
「だから、あの人に遭ったことはすごく良かったと思う」

まさに「太極図の黒の中の白を見抜いた」ような境地。
これら全て、Bさん自身で行き着いたのですから驚きです。

しかし、Bさんはそこに留まりません。
そこからさらにしばらく経ったある日の診察で、Bさんがふとした瞬間に起こる、小さな不調について話していた時のことです。

Bさんは、同じ様な不調についてこれまでは
「この程度で済んで良かった」
「もっと辛い時期に比べれば全然良くなっている」
など、「黒の中の白」を見つけて話すことが多かったのですが、この診察の時はこう語りました。

「先生。私、先生から色々教わって、黒の中の白とか見られる様になって、もちろんそれはすごく良いことだと思うんですけど」

それだと結局、白しか見てないんじゃないかって。それだと太極図じゃないんじゃないかと思って」

「だから、不調もただそのまま『ああ、不調なんだな』って受け入れるだけでいいんじゃないかなって思ったんです」

これには正直、度肝を抜かれました。
万物を、ただあるがままに受け止める…これはもはや仏陀の境地です。

もしや後光が差しているのでは、と目を丸くしてBさんを見ましたが、Bさんはただ穏やかに微笑んでいるだけでした。

でも、そこに眉根を寄せて辛そうだったBさんの姿はもうありません。

もちろん、今後の長い人生全ての出来事に一つも漏らさずこの様な境地で受け入れるなどと言うことは出来ないでしょうし、出来る必要もないと思います。
人間ですから。

しかし自分を超え続け、自分の力でこの様な境地に行き着いたBさんには、尊敬の念が尽きません。

こういう出会いを頂けることがありがたいなぁ、としみじみ感じるのでした。