・デジタル時代の落とし穴
先日、とある式典で「デジタル時代の虫の目と鳥の目」のお話を拝聴致しました。
社会人の心得としてしばしば出てくる三つの視点、「虫の目」「鳥の目」「魚の目」の内の二つ。
この時のお話では、主に近視的・主観的に寄っている視点が虫。
俯瞰的・客観的な視点が鳥という形で表現されました。
このデジタル時代では、ネット検索などで「より広く、俯瞰的・客観的な情報を集めている」つもりでも、検索エンジンのアルゴリズムのため「自分が普段見ている内容に近い検索結果」が提示され、結果として「同じ意見を集めているだけなのに、自分は客観的で公平な視点で見ている」と勘違いしてしまう危険がある。
鳥の目のつもりで虫の目になってはいけない、本当の鳥の目を持つために様々な人と触れ合いなさいとの訓示は、実に理解しやすく、子供達に便利さの裏の危険性を認識させる、大切なお話だったと感じています。
・「虫の目」は悪者?
このお話の中では、虫の目はあまり良いイメージではありません。
「自分の目の前しか見えていない、地を這う小さな存在」
の様な描かれ方になっています。
もちろん子供達により解りやすくするために、あえてその様なお話にしていることは理解していますが、私は個人的に「虫の目」が好きなので、ちょっとモヤっとしてしまいました(笑
「虫の目」「鳥の目」「魚の目」のお話をご存知の方には釈迦に説法でしょうが、本来は「全て重要な」視点です。
「物事に実際に近づき、複眼で多角的に見る」虫。
「距離を取り客観的・俯瞰的に見渡す」鳥。
「あらゆる『潮目』、『流れ』を見る」魚。
この三つが揃ってこそ、本当の多角的な視点であると教える訳です。
・活き活きとした近視と主観
患者さんと医師が1対1の時はまた別ですが、医療全体で見てみると一勤務医である自分はいわば虫なので、個人的に虫の目が好きなんです。
地を這い、土の香りや草の瑞々しさ、花の芳しさなどを存分に感じる喜びは虫ならでは。
「事件は会議室で起きてんじゃない!現場で起きてんだ!」
という名台詞も、まさに虫の目ですよね。
もちろん、鳥の目を失ってはただの独善や迷子になってしまうということも確かです。
でも、あまりに俯瞰と客観を意識しすぎて、活き活きとした近視と主観を蔑ろにしてしまったら、人生は味気なくなってしまうのではないでしょうか。
やはり何事も太極図の様に、お互いに補い合ってバランス良く持っていたいものですね。