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「波打ち際」理論(前)

〜 焦ってしまいがちなあなたに 〜

・不調と焦りは切っても切れない関係

精神科医として診療にあたっていると良く感じるのが、
「ああ、焦ってしまっているなぁ」
ということです。

ある意味仕方のないことではあります。

だって、生活への影響は大きいし、心は痛い。
それでいて、骨折の様に「誰が見ても一目瞭然で、適切なケアも大体決まっていて想定しやすい」訳でもない。
しかも「誰かがケアをしてくれたら、確実に本人が楽になる」訳でもないんです。

例えば、「大丈夫、ゆっくり休んで」と声をかけられても「気を遣われている、自分がちゃんとしていないから迷惑をかけている」と感じてしまえば、心はむしろダメージを受けてしまいます。

骨折であれば、その様には感じにくい精神状態の方もそれだけ多くなりますし、何より「その様に感じたからといって、骨の回復は然程悪くならない」ですから(多少は変わりますが)。

この様な状態で「早く良くならなければ」と焦ってしまうのは仕方のないことではあるんです。
でも、焦ってしまえばそれだけ改善は遅れやすく、それがまた焦りを呼ぶという悪循環。

ここで出てくるのが「波打ち際」理論です。

これは、当初「精神科での治療を要する方」の中から導き出されたものでしたが、様々な方とお話をしている中で「これは普通に生活していても十分に通用する」と判断致しましたので、お話しさせて頂こうと思います。

・「波打ち際」に近いほど、実は危険

沖縄やハワイの様などこまでも白い砂浜…ではなく、ちょっと潮溜まりが出来るような磯、岩場の海を思い浮かべて下さい。

心の状態が悪くなると、岸からどんどん沖へ、深海へと沈んで行きます。
心の状態が著しく悪い「深海」では、
光が全く見えず暗い、
押し潰されるように重い、
上も下もわからない、
生きている実感も持てない、
そんな状態になります。

でも、そこには大きなうねりや海流はあっても「波」はありません。
苔や海苔で滑ったり、ギザギザのフジツボが付着した様な岩場もありません。
ただただ流れるまま、沈むまま、もう自分では動くこともままならず、だから「波に巻き込まれ」たり「足を滑らせ」たりすることもありません。

一方で、波打ち際に近い浅瀬はどうでしょう。

海面に顔が出せて、息が吸えます。
明るい太陽が見えます。
風を感じます。
すぐそこに、楽しそうな人々の姿が見えます。

でも、そこには「波」があります。
滑ったり、ギザギザだったりする岩場もあります。

急な波に巻き込まれてもがく場合もあれば、足を取られて転んでしまう場合もある。
「岸まではもう手の届きそうなのに」と焦れば焦るほど、前のめりに急ぐほど、岩場は危ないんです。

「波打ち際に近づくほど安心」と思いがちですが、むしろ全く逆なんですね。