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「鏡」理論(①-前)

〜 不安を少なくする方法 〜

・不安はあっていい

不安を少なくする方法、というサブタイトルに反するような見出しですが…
でも、生きていれば当然、様々な不安を味わいます。
それ自体は仕方のないことです。

何故なら不安とは、「不確定さを感じること」だからです。

◯になったらどうしよう(未来が不確定)」
「相手に◯◯と思われているんじゃないか?(相手の心情が不確定)」

など、全て「不確定さ感じている」わけです。
私たちが未来も、人の心の中も「確実に知る」ことが出来ない以上は、絶対に不安は起こるし、だから不安はあっていい。

でも、「自分はあまりに不安に振り回されている」と感じる方がいらっしゃるとしたら…

「鏡の知恵」がお役に立つかも知れません。

・人の心は鏡

仏教の教えに「大円鏡智」というものがあります。
「人の心は鏡である」というもので、「人の心に起こる全てのことが、鏡の前に置かれたものを映しただけに他ならない」
と説きます。

般若心経に
「不生不滅 不垢不浄 不増不減」
という一節があるのですが、そのまま読めば
「生まれないし死なないし、汚れないし綺麗にならないし、増えないし減らない」
という意味です。

一体どういうことなのでしょう?

実はこれは、「鏡に何かが映った状態」を表しているのです。

例えば、鏡の前にウサギがピョンと跳んで来くると、鏡にもウサギが映ります。
しかし、ウサギは2匹に増えたのでしょうか?
ウサギが鏡に映らなくなったら、ウサギは減るのでしょうか。

あるいは、鏡の前の床がひどく汚れていて、鏡に汚い床が映し出されています。
「鏡が汚れた」のでしょうか?
そこをピカピカにお掃除したとして、「鏡が綺麗になった」のでしょうか。

この様に、「実は、人の心は目の前のものを映しているだけだ。目の前から映すものがなくなったら、そこにはただ同じ様に鏡があるだけのはずだ」と考えるのです。

そして「苦しいことが目の前にある時は、そりゃ苦しい、仕方ない。でも、目の前には何もないはずなのに、自分で鏡に苦しいものを映しに行って苦しむのはやめないか?」と教えるのです。

・鏡を動かせば、不安定になる

当然の話ですが、鏡はただそこに置いてある状態が一番安定しているわけで、これをあちこち動かそうとすれば不安定になりますよね。

ウサギの例で言えば、
「鏡の前から去ったウサギを、鏡を動かしていつまでも映している」
これは、「過去の苦しみを引きずっている」状態。

「まだ来ないウサギを映そうと、あちこち鏡を動かしている」
これは「不確定であるはずの未来を心配しすぎている」状態。

あるいは、
「草むらが動くたびに、ウサギが見えないかとあちこち鏡を持っていく」
これは、「見えるはずのない相手の心の中を見ようとしている」状態です。

全て「鏡」─ つまり心が安定を失い、不安定になるというわけです。

では、この不安定さを少なくする…つまり、鏡をなるべく動かさずに済ますようにするには、どうしたら良いのでしょう?

── 次回へ続きます。