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グレーも白と黒(前)

・「グレーゾーンの認識」は成熟の証

小さい頃、「嘘をついちゃいけません」「何でも正直に話しなさい」と指導されたのに、小学校くらいで「嘘も方便」と習って違和感を覚えたことはありませんか?
自分が嘘をつくとメチャクチャ起こるクセに、自分を注射に連れていくために嘘をついたりする大人に憤慨したり。

これはつまり「嘘は悪。正直は善」という白黒の考え方。

でも大きくなってくると、「嘘も方便」の意味が実感として理解でき、一方で「バカ正直」や「無神経」というように正直であることが必ずしも善でない場合がある、ということも理解します。

「善は急げ」v.s.「急がば回れ」も、子どものころは「どっちだよ!」と思ったものですが、大人になると「どっちもあるよなぁ」と納得します。

つまり、白黒で切り分けきれない「グレーゾーン」を認識出来る様になったのですね。

心の安定や対人関係を円滑にするためには、この「グレーゾーンの認識」が必要とされます。
「何でも白黒」ではいけない、というわけです。

医学的には、何でも白黒に分けて考えてしまう考え方を

二極思考

と呼び、より幼若な(語弊を恐れずに言えば幼稚な)思考パターンとしています。

例えば子ども番組、特にヒーローものを例に挙げるとわかりやすいのですが、基本的に「イイモノ」「ワルモノ」が明確に分かれていますよね。
そして「イイモノ」は絶対的にポジティブな要素で出来ており、「ワルモノ」はネガティブな要素で出来ています。
これは子どもの思考のパターンにとって、その方がわかりやすいからです。

だから子どもは理解しやすく、熱中しやすいのですが、昔のヒーローものは少し大きくなると「幼稚でつまらない」ことが多い。
これは、成長して思考のパターンが白黒だけでなくなったからです。

ところが平成ライダー以降、「大人が見ても面白い」ヒーローものが増えました。
これは、シナリオが「二極思考」になっていないからです。

どういうことかというと、
「イイモノのはずなのに悩んでしまっていたり、ちょっと悪い心があったりする。イイモノ同士で争いが起きたりする」
「ワルモノのはずなのに、自分なりの正義に筋が通っていて曇りがなかったり、カッコ良かったりする」
など、ポジディブ要素とネガティブ要素があれこれ混じっているんですね。
そのため「幼稚でつまらない」と感じにくく、むしろ「オトナ」の中にある葛藤や苦悩が映し出されて共感を得られ、「なんか子ども番組なのに見応えがある」と感じるのです。

このように、基本的には
白と黒の二つに単純に分けられた世界
から、
白と黒の間がグレーでつながり、複雑に混ざり合った世界
へと、認識が成長していくと考えられます。

・白黒つけたい時だってある

特に日本人は、西洋人に比べて明らかに白黒を明確にしない傾向があります。
これは、グレーゾーンを広く持つことで他者との協調をしやすくする知恵の一つだったのだろうと思われますが、以前にお話しした太極図的な思考がそもそも古くからあるという影響も大きいでしょう。
そのため、白黒切り分ける=幼稚、グレーゾーン=成熟というような極端な考え方の人も見かけます。

でも、何でもかんでも「グレーゾーンでおいておくことが正しい」では、逆に二極思考的とすら言えます。
つまり「白黒=悪、グレー=善という二極」ですね。

人間ですもの、白黒つけたい時だってあるじゃないですか。
太極図だって、「一面のグレー」ではありません。
「白と黒が複雑に入り混じっている」のです。

そもそも、グレーという色をどんどん拡大して見ていけば、実は白と黒の粒子が混ざって出来ているわけです。
言うなれば、単に「『より小さな』白と黒」で出来ているんですね。

「白でもない、黒でもない、グレーなんだよ」ではなく、
「白でもあり、黒でもある。だからこそグレー」。

同じグレーゾーンの認識でも、これは全く意味が違うというのがおわかりいただけるでしょうか?

だから、どうしても白黒をつけたいことがあったらつければいい、と私は思います。
ただし、「粒を小さくする」工夫は必要ですね。

次回は「粒を小さくする」ことについてお話しします。